春15白久串人形
     

村の古老の言い伝えによると、文久か元治の頃、既に郡内で行われていた芝居を真似て始めたのが起源だそうで、当時は卵の殻に顔を描いて使っていたという。
節や操りの技術が進歩してくると卵の殻では物足りなくなり、明治7年江戸人形の頭38個を買い求め、自分たちで衣裳、舞台を作り上演していた。このころから義太夫と説教節を併用していた。頭の大きさは約7.5pであるが、文楽人形より印象は強く単的な表情は実に美しい。
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