夏15三峰−奥の院への路−

日本武尊が伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)を偲び造営されたのが始まりと言われる三峰宮。
修験の祖、役(えん)の小角(おづね)が修行をし、745年弘法大師が十二面観音像を刻み、三峰宮の脇に本殿を建て天下泰平、国家安泰を祈った。神仏習合の社となり、僧侶による神前奉仕、東国武士を中心に篤い信仰を受け隆盛を極めるも、戦火に巻き込まれ栄華盛衰の後、明治2年神仏分離により寺院を廃して、三峰神社と号し現在に至る。
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