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まえがき

 筆者の専門の一つは橋梁工学です。橋は巨大な構造物ですので、試しに作ってみて、工合が悪ければ作り直すという手軽な方法が取れません。力学原理で設計し、完成した橋がその原理通りの振る舞いをするのを確認するのは素晴らしいことです。橋梁工学では、実践技術と力学理論とが結びついたところに研究対象を見つける楽しみがあります。橋に限らず、設計とは、まだ現実に存在していない立体的な構造を頭の中にイメージし、それを平面的な図で表す知的な活動です。この作業では、人間の直観と感性とが必要であり、それを数学的・論理的に裏打ちをして行きます。その数学の大部分が幾何に関するものなのです。そして、コンピュータが最も苦手としているのが幾何学的な処理だと言えるでしょう。

 本書の目標は、コンピュータで幾何学的な計算をさせるための「コンピュータで扱う幾何学」を解説することです。その場合、ベクトルとマトリックスの数学を積極的に応用しなければなりません。一般的にベクトルとマトリックスとを解説する数学は線形代数に分類されています。そのため、幾何学的な意味付けに欠けるきらいがあります。マトリックスは代数的な計算に応用するときに便利な概念です。本書では、このマトリックスをさらに便利に扱えるようにするため、ベクトルの二項積(dyad)を使っているのが一つの特徴と言えるでしょう。

 ところで、古い話になりますが、1960年代の大学紛争以来、産と学との結びつきが罪悪視されるような変な時代になってしまったので、筆者などは、大学で紙の上だけで橋の研究をする羽目になってしまいました。幸いなことに、コンピュータという新しい道具が利用できるようになって、CADを新しく研究対象に加えることにしました。1960年代は、まだCADやCGという用語が無くて、自動設計とか自動製図などと言いました。橋は公共構造物ですので、設計書や図面は公文書として扱われます。橋は何十年も使いますので、その文書は大事に保管しておかなければなりません。これが、データベースを始めとした情報文書管理の研究とに繋がるのです。この方面の説明は別の機会にまとめ、本書では製図の基本、またはコンピュータグラフィックス(CG)の基本として使われる数学的な手法の解説にしぼりました。

 本書は、数学の教科書としての編集方針に沿うように構成しましたが、演習問題をつけませんでした。むしろ、読み物として理解してもらうことを意識して、文章による説明を多くしました。そのため、各章の末尾に、その章の復習に使えるように「まとめ」を付けました。数学的な知見を実際問題の数値計算に利用するには、一種の標準化が必要です。具体的には公式集・データ集・数表といった資料を設計者が共有して、説明の省略を補います。本書の付録は、本文の中に文章で解説したことを独立に資料集として利用できるようにすることを考えてまとめました。この方法は、学術論文で参考文献を並べるよりもずっと実践的な方法だと考えています。

 本書の編集には、東京大学 杉原厚吉教授の御指導を賜りました。イラストには埼玉大学 近藤邦雄助教授にお世話になりました。原稿はLaTeXで作成しましたが、ベクトル記号を多用するのでやや特殊な工夫が必要でした。この点に関して、共立出版 (株) 小山透、横田穂波 両氏、(株)啓文堂 宮川憲欣氏に多くを学びました。合わせて感謝する次第です。

2000年1月 島田 静雄


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