1.2 形状の設計と幾何

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 筆者が専門としていた分野は橋梁工学です。橋は大きな構造物ですので、試しに作ってみて、工合が悪ければ作り直す、などの方法を採ることができません。橋の設計作業は、完成した橋の構造を想像し、それを図面に描いて種々の検討を加えていきます。橋の設計に限らず、一般に設計という作業は人間の感性を必要とします。その理由は「設計とは、未だ現実に存在していない立体的な形状を頭の中でイメージ(想像)し、それを平面的な図面に表す作業である」からです。したがって、設計作業は必ず製図作業を伴います。CAD(computer aided design)を標榜するソフトウェアが作図のソフトウェアを主目的とするのは必然のことです。一方、製作する側の人は、描かれた図面を見て、立体的な構造がイメージできなければ正しい形状の物を作ることができません。図面を介して設計者と製作者とにコミュニケーションが成り立つためには、正しい製図法の約束とともに、それを見る両者が同じ立体的な形状を頭の中にイメージできるような感性を共有していなければなりません。正しい製図法とは、幾何学的な原理を踏まえていることを指します。騙し絵や抽象絵画では誤って理解される危険があります。

 設計図面を描くためには、ある程度の訓練と経験とが必要です。全くの初心者に、最高級のCADのソフトウェアを与えたら、とたんに立派な設計者(デザイナー)に変身できるというものではありません。感や経験は英語で言えばノウハウ(know-how)ですが、これらは技術の教育で最も難しい部類に属しています。絵画や彫刻の制作などの芸術活動は、さらにずっと感性的で個性的ですので、設計段階を省いて、いきなり制作にかかることも少なくありません。それに対して、工業における設計では、設計者と製作者とが異なるのが普通ですので、必ず図面を必要とします。また図面を基に複数の同じ製品が製作できます。一般の人は、設計作業を、創造的で芸術的な活動と同じだと思いがちですが、現実には過去の似たような造形を基にして改良や工夫を加えていきます。見本が豊富に蓄積されていることが豊かな経験に繋がります。このとき、独創性(オリジナリティ)と模倣(イミテーション)との区別が問題になるのです。工業デザインでは、形と寸法とを決めていく設計の手順を丁寧に残しておいて、設計作業を再現できるようにします。この方法は、データベース構築の思想や方法に関連します。

 工業製図と芸術的なデッサンとの根本的な相違は、数値の扱いに典型的に表れます。図面は、対象物の正しい形と寸法の二つを表現したものでなければなりません。つまり、寸法が示されていない図は図面ではないのです。コンピュータを利用して図面を描くためには、最少限の寸法数値を入力し、幾何の原理を応用してコンピュータ内部で必要な数値を計算させなければなりません。このとき、幾何の原理に立脚した理論値と、実用計算での精度との葛藤が起こります。例えば、三角形の内接円の中心を角度の二等分線の交点で計算させることを考えます。三つある二等分線から二つずつ選んで交点を三つ計算すると、三点の座標が完全に一致することはまずありません。計算幾何学の課題の一つが、このような誤差の問題に合理的な解決方法を提供することにあります。

 工業製図で立体の図形を作図するとき、正投影法を使う約束になっています。透視図、つまり、写真で写したような見取り図による表現は、正規の図面に使ってはならないことになっています。この理由は、手書きで透視図を作るには作図のテクニックが難しすぎることと同時に、図形と寸法とが相似にならないからです。言い換えると、遠くにある図形の寸法は小さく、近くは大きく描かれるからです。コンピュータで立体的な形状を扱うことをソリッドモデリング、形状モデリング、または幾何モデリングと言います。図形の特徴と寸法とをコンピュータが扱うようにしておくと、どのような投影法ででも作図ができます。そのため、正投影法にこだわらず、分かり易い透視図(パースペクティブ)を利用することが増えてきました。こんどは、どのようにして正しい形状と寸法とをコンピュータに教えるか、という立場から幾何に関する数値計算をしなければなりません。

 図学(graphic science)とは、幾何学の原理を使って立体図形を平面図形に作図をすることを扱う学問です。原則として定規とコンパスを使って図形を描くのに対して、コンピュータを利用して作図をさせるには余分な計算が必要になります。多くの場合、計算の原理は初等幾何学の範囲にあるような簡単な命題です。この章の始めで説明したように、三角形の内接円の中心座標を求める命題であっても、思った以上に複雑な計算になります。このような初等幾何学の問題をコンピュータを使って簡単に数値計算で解くためには、幾何に対する考え方を一度整理しなければならないのです。

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